2014年5月11日日曜日

為替の大福餅 ドル円の過去を散策 その13 ≪円当時の最高値の流れ、その2≫

120円を割れ、TVで見たインタビューでは確か、ドル急落に関しての記者からの質問に対し笑いながら、片目を閉じたことを記憶しています。110円台に入り円高が進む中でも、ドル安容認発言を繰り返し、巨額の財政赤字を支えるために米国債を大量購入して「ザ・セイホ」と呼ばれていた生保各社は保有する米国債の為替含み損を抱えながら、売却すれば損失が表面化するため、売りたくても売れないジレンマに陥っていくのでした。また、悪いことに(会計上は良いことですが)19926月には外国為替等審議会で先物為替の決済延長の原則禁止が発表されたのでした。

当時のクリントン米大統領は、第一に日本との貿易赤字削減交渉と、第二にヘッジファンドに関する調査を実施しました。1993416日の ワシントン・日米首脳会談でクリントン大統領は「貿易不均衡の是正には円高が有効」と発言、その後、クリントン大統領の経済コンサルタントは日本政府による市場開放の遅さに業を煮やし、19942月に円高・ドル安誘導をクリントン政権に提案し、従来の自動車・電機・通信業界と同様に、日本製品の輸入価格を吊り上げることを目的に、円高を容認する方針はじまり、115円台の壁を割り込み、その後100円台まで円高への道が作られました。一方のヘッジファンドに関する調査は、ウォール街の反対にあい、政治的なダメージを追うことになります。

円高・ドル安への誘導はドルの価値そのものを低下させることを意味し、自国通貨の価値の低落はウォール街などの国際金融市場に歓迎されず、ドル高を予想した証券会社は損失をこうむることになります。これを意識してかは不明ですが1993427日にはNY連銀は111円台を守るべく自己勘定で円売り・ドル買い介入を実施したのですが、ご存知の通りお付き合い程度の数億ドルの介入では効果は乏しく、円高の進行が続いていきます。しかし、これは後のルービン氏が財務長官に就任することで大きくドル高へ流れを変えることになるのですが、それはまだ先のことです。

当時の市場ではアジア諸国の中央銀行がドル買いを増やしているとか、OPEC諸国が石油価格のドル決済の変更を考えているとか、ヨーロッパ諸国は統一通貨ユーロの準備を着々と進め、日本政府が、米国債を売却するのではとのウワサも飛び交っていました。


ドル円は後に、100円を割り込み、時価会計の導入で「ザ・セイホ」のドル売りが始まり、膨大な為替差損を計上、日本の生保損保業界は苦難の道を歩むことになるのです。

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