「円最高値の流れ」
1992年は、歴史に残るイングランド銀行とソロスファンドの戦いとなる「ポンド危機」がありました。1992年9月4日20100から始まったポンドの下落局面で、ソロスファンドはポンド売りを仕掛け、イングランド銀行による執拗なポンド買い介入を嘲り笑うかのように1993年2月5日には14063まで下落したのでした。イングランド銀行は1992年9月16日に一日に公定歩合を、10%から12%へと2度引き上げ、最終的には年15%まで通貨ポンドの防衛のために公定歩合を引き上げ、最終的に英国はEMSから一時離脱を決定したのもこの時代です。
為替の教科書にも出てくるこのポンド危機は、イギリスがEMS(欧州通貨制度)に加盟していることで、他の加盟国通貨の変動率を上下一定枠に固定するというルールを守ることが義務付けられていました。当時のイギリス経済は悪化し、この制度で変動幅が固定されていたため、為替レートが過大評価され、かろうじて水準を維持していたのです。ソロスファンドはこの間隙を狙い、総額100億ポンドとも言われているポンド売りを行い、最終的には20億ドルの利益を得たとも言われていますが、詳しくはユーロ誕生の章でご説明します。
さて、話を戻しますが、ドル円は1990年4月の160.35円をピークに、本邦機関投資家のバブル崩壊による対外資産引き上げによる円高や、1991年には140円台でのドル売り協調介入により上値は重くなり、1992年には123円~135円まで円高が進んでいました。日米強調介入による円高でも120円の大台は割り込むことはできず下げ止まっていましたが、対日強硬派の急先鋒のベンツェン財務長官の発言で、流れは一変したのです。1993年2月19日にベンツェン財務長官は「一層の円高が望ましい」と発言、1993年2月には121円台でドル売り介入実施したのでした。
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