「カーター・ドル防衛」と「 「レーガノミクス」
「カーター・ドル防衛」
日本は1973年からのオイルショックを克服し、1977年から円高が進み1978年には1ドル=174.37円と、360円の固定相場から半値近くまで円高が進行しました。流石にドルの価値が半値になると、米国側も危機感を示し、米国主導で大規模なドル買い介入を実施し、ドイツ・日本・スイスとも協調介入を実施、公定歩合の1%引き上げ、預金準備率の引き上げ、カーターボンドの発行など、ドル防衛策を打ち出したのでした。
また、この時期に始まった第二次オイルショックもドル買いに拍車をかけドル円は1980年4月には一時260円近くまで上昇したのですが、日本のファンダメンタルズの大幅改善、期を同じくして日本では1980年には新外為法施行され、為替取引は原則自由となり、ドル円相場は再び200円割れの水準まで円高が進みました。
「レーガノミクス」
最近は、「アベノミクス」が有名になっていますが、元祖は「レーガノミクス」で、1981年に就任したレーガン米大統領が採用した一連の自由主義経済政策のことです。大幅減税や軍事予算を急増させたため、財政赤字が拡大し米国は歴史的なできごととなる債務国に転落し、財政赤字を補填するために高金利政策が実施され、短期金利は20%台まで上昇しました。この高金利への投資のために海外の資金が米国に流入した結果、ドル円は1982年11月には一時278.09円まで上昇したのでした。
ドル高の弊害は米国企業の輸出競争量を低下させ、米国内の製造業団体からは日本企業・政府へ貿易黒字増加への不満が強まり、米国政府の強い要請により1983年には日米ドル委員会が発足され、日本の金融市場や資本市場の自由化と米金融機関による日本進出が始まったのでした。また、為替先物予約の実需原則が撤廃され、円転枠規制の撤廃などの金融自由化により、為替取引量が飛躍的に拡大していくのでした。
米国は超高金利政策によりインフレ沈静化の兆しが見え始めると、金利低下が始める一方、貿易赤字は拡大し、ドルへの魅力が薄れるに伴い、ドル円は240台近くまで下落し、次第にドルは不穏な動きが強まってくるのでした。
そして、有名な「プラザ合意」の道へと続いて進んで行くのでした。
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