「プラザ合意」
1985年9月のことですが、ベーカー米財務長官の要請により、NYのプラザホテルで会議が開かれ、ドル高是正の協調介入と政策協調に乗り出すことで合意しました。開催されたホテルの名にちなんで「プラザ合意」と呼ばれる事になるこの会議には、米国・日本・ドイツ・イギリス・フランスの蔵相(財務相)と中銀総裁が参加し、当時の総理大臣は中曽根康弘氏で、日本からは竹下大蔵大臣と澄田日銀総裁が出席したことは今でも有名です。
当時の新聞報道では、竹下蔵相は千葉にゴルフにいくと家を出て成田空港へ直行し、澄田智日銀総裁は風邪を理由に予定していたゴルフをキャンセルし、マスク姿で成田空港へ直行し、共に一路NYへ向かったとあり、マスコミに察知されないように、極秘に話を進めていたことが推測されます。
現在ではよく耳にするG7ですが、当時はG5(先進5カ国の蔵相・中銀総裁会議)と呼ばれており、これらの国際会議が一般的に知られるようになったのもこのプラザ会議からでした。
9月22日にプラザ合意の共同声明が発表されましたが、声明文の真意を理解することは昔も今も難しく、何を意味し何が必要なのか、歴史書みたいなものですからよく検証して下さい。
「声明分の抜粋」
1.「対外ポジションには、潜在的に問題となりうる大きな不均衡」があるが、これは広範な要因を反映したものである。米国の相対的に極めて高い成長期が原因となっている対外ポジションの悪化は、いくつかの主要開発途上国の経済困難及び調整努力が米国の経常収支に与え、特に大きな影響は、いくつかの市場における貿易アクセスの困難さ、及び米ドルの上昇などである。
これらの要因(相対的成長率、開発途上国の債務問題及び為替レートの状況)の相互作用が、主要先進国間の大きく、潜在的に不安定材料となりうる対外不均衡に寄与した。特に、米国は、大きくかつ増大する経常収支赤字を有し、日本及びより低い水準ではあるがドイツは、大きくかつ増大する経常収支黒字を有している。
米国の経常収支赤字は、現在、他の要因とともに保護主義圧力に寄与しており、これに抵抗しない場合、世界経済に重大な損害を及ぼす相互破壊的報復へとつながりうる。すなわち、世界貿易は縮小し、実質成長率はマイナスにすらなり、失業が更に増加し、債務負担を抱える開発途上国は、必要不可欠な輸出収入を確保できなくなろう。
「プラザ合意を検証」
それでは何故このような会合が必要だったかを検証してみましょう。悪いことに、米国はロシアと冷戦状態に入り軍事費が拡大し、財政赤字が膨らみ「債務超過」に陥ってしまった→ インフレ抑制と、海外から借金依存体質で「高金利政策」を維持せねばならない→ 高金利で「ドル高」が止まらない→ ドル高で「米輸出企業の競争力が無く」日本に負けて商売にならない→ 「米議会から不満続出」で何とかせねばならない状況が続いていたのでした。
一方の欧州各国は、米国の高金利政策の影響で、高金利を維持するする必要がありながら、高金利の悪影響を危惧し、「金利を下げてくれるなら日本の円の価値が大幅に上昇しようが、自国通貨の価値が多少上がろうが関係ないだろう」。まあ、このような状況だったと思われます。つまり、ドルの価値を下げ=円の価値を上げることで米国の輸出競争力を高め、米貿易赤字を減らす合意が「プラザ合意」と極論しても間違いではないと思います。
米国は対日貿易赤字の是正を目的に、対外不均衡是正のお題目を唱えて、ドル安政策を実施したのですが、後のG10
やG20などで、「一部のアジア諸国へ求めた不均衡是正」と同じお題目であったことを考えれば、国・経済規模の相違はあるものの、過去と同じことを繰り返していることもある意味では歴史的な事実でしょう。
「行動内容」
それではどのような行動を実施したのでしょうか。具体的には、「G5の通貨を一律10~12%幅で切り上げる(ドルを切り下げる)」、「協調介入の期間は6週間」、「介入規模は総額で180億ドル」などの目標を設定したのでした。9月24日から東京市場で大量のドル売り・円買いを実行し、ドイツのブンデスバンク(ドイツ中銀)、フランスのバンコ・デ・フランス(フランス中銀)、イタリアのバンカ・デ・イタリアーナ(イタリア中銀)、英国のバンク・オブ・イングランド(英国中銀)、そしてアメリカのフェデラル・リザーブ・バンク・オブ・ニューヨーク(米国の介入執行連銀)が連続して協調し、ドル売り介入を実施したのでした。
「円高は止まらず」
当時のドル円は240円でしたので、最大目標とした12%円高は28.8円で計算上は210円程度となるべきでした。実際には、このような小幅な円高に留まらず、竹下大蔵大臣が「ドル円は190円でもかまわない」と発言したことで、市場はドル円190円を目標にドル売りの攻勢をかけたのです。
しかし、ドル円は190円でもドル売りの流れは止まらず、1986年には180円を割り込む円高が進み、ついに、日米2国間で「竹下大蔵大臣・ベーカー米財務長官の合意」に基づきドル買い介入を実施したのですがドル安は止まらず、1987年に140円近くまで円高が進み、次の「ルーブル合意」で、ドル買い協調介入が実施されるまで続いたのでした。そして、歴史的にまれな日本経済の崩壊の原因となる「バブル景気」→「バブル崩壊」の基礎がここで作られたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿