「資産バブルとバブル崩壊への道」
1989年12月29日の大納会で、日経平均株価は38,915円と史上最高値を付け、不動産価格も1990年まで上昇し、「日の出る国」の日本は果てしない繁栄と、永遠と続く株価と不動産価格の上昇を誰も信じて疑いませんでした。
歴史とは面白いもので、この年には色々な出来事がありました。当時の政局は、宇野総理が女性スキャンダルで辞任に追いこまれ、海部総理へと引き継がれ、1月には昭和天皇が崩御され、64年間続いた昭和から平成へと年号が変り、1月20日には、ブッシュ大統領が第41代大統領に就任しました。6月3日には中国で「天安門事件」が勃発し、武力解決による抑圧で数千人が死亡、11月9日にはベルリンの壁が崩壊し、翌1990年には東西ドイツが統合し、消費税の導入が始まり、リクルート事件ものこの年にありました。
不謹慎ながら、当時のドル円相場は天皇陛下の病状に一喜一憂する動きが続き、刻々と発表される血圧や病状の報道にドル円が売られたり、買われたり、救急車が皇居に入ると一斉にドル買いとなったものでした。病状の悪化をいち早く探るために、部下を皇居の見える窓に立たせ、何か動きがあったら直ぐに知らせるように手配りするなど、今になって考えると可笑しなことを真顔でやっていました。
また、天安門事件は今でも思い出したくない事件の一つで、当時金曜日のNY時間の午後4時にドル売りのポジションを作り、午後5時のクローズ時点では約1円程度の利益がでて週を終えたのでした。ところが週末に勃発したこの事件に、とにかくポジションを閉めようと、月曜日の早朝タクシーで会社へ向かい、午前5時ごろにニュージーランド市場で確か2円程度の損でドル円を買い戻し、ポジションを閉じたのですが、何で損をしたのか情けなくなったことを覚えています。NY市場の終値から3円程度損をし、ドル高でしか買えなかったのですが、相場とは不思議なもので、東京市場の朝一番では実需の売りに、当初のコスト水準までドルは下がり、直後に急速なドル高が始まった記憶があります。
話を戻しますが、日本の資産バブルの時期は一般的に1986年12月~1991年2月の約4年間と言われ、この間に日経平均株価は「1986年12月1日の18,307.98円」から始まり、「1989年12月29日に史上最高値38,915.87円」まで急騰、その後1年数カ月足らずの「1991年2月1日には23,156.70 円」まで暴落、まさに歴史に残る大変動でした。
不動産価格の総額が東京都区内の値段と米国本土と同額であったことがあり、米国の友人のデーラーに冗談半分に電話で「交換するか?」と話を持ちかけると、「お前は馬鹿か!」なんで事を言われた記憶があります。それほど歪な不動産価格の高騰が続いたのでした。
この株価の上昇と、土地高騰によるキャピタルゲインが膨張し、国内から割安な海外へ資金移動が始まったのです。日本の企業が、F1チームを買収したり、三菱地所がNYマンハッタン5番街にある「ロックフェラーセンタービル」を約2000億円で買収したり、ゴッホやルノーなどの有名な画家の絵を購入したものでした。1990年にオークションで日本人が落札した、モネの「ヴェトゥイユの庭」は約7.5億で、後のバブル崩壊後の売却価格は約3.3億とも言われています。このバブル期に日本が輸入した絵画の総額は1兆円ともいわれています。
リクルート事件を発端に行き過ぎた地価の高騰を非難する声が出始め、土地基本法が制定され、転売による利益追求を防ぐ措置が実施されました。1990年には金融機関から不動産業界への資金流入にストップをかける、大蔵省の局長通達と言う、よくわからない動産融資総量規制が制定されました。バブル期に過度な不動産融資を行なった、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀や、山一證券が破綻に向かい、1991年に始まった湾岸戦争勃発による石油が高騰により、円高相場と低金利、原油安が終焉し、円安、株安、債権安になってしまいました。直接投資の資金が海外に流出したことも要因となり、ドル円は160円台まで円安が加速しはじめたのです。
一般に不況感が出始めるのは1993年ごろで、土地の買い手がいなくなり、土地の値段が下がり始め、投げ売りが始まり、土地での損は株を売って穴埋めしようと、株を売る人も急増し、株価も下落、投機ブームはついに終わりを告げました。