2014年4月7日月曜日

為替の大福餅 ドル円の過去を散策 その8 ≪ブラックマンデー≫

「ブラックマンデー」

1987年のアメリカの貿易赤字は1703億ドルと史上最高額を更新し、経常収支も1540億ドルの赤字を記録しました。1987年末のアメリカの対外純債務額は3,682億ドルの水準まで拡大したことがブラックマンデーへ進んで行く背景にあります。

歴史的出来事には色々な要因が重なるものです。インフレファイターとして決して妥協しないドイツ中銀(ブンデスバンク)の公定歩合引き上げと、通貨の番人と言われ絶対的な信任を得ていたボルカーFRB議長の退任と、着任して間もないグリーンスパン米FRB議長が、ドル防衛政策として公定歩合を5.5%から6.0%引き上げたことで、市場への不安感が広まったのでした。

直接的な引き金は、1014日発表された8月の貿易赤字額が1568300万ドルと、予想を大幅に上回る赤字額に拡大したことでウォール街の不安心理はピークに達し、19871019日(月曜日)にNYダウ平均株価は2,247ドルから1739ドルと一日で508ドル(-22.6%)と歴史的株価の大暴落の「ブラックマンデー」が始まったのです

その余波は翌日の東京市場へも及び、1020日(火曜日)の日経平均株価は25,747円から21910円と-3,836円(-14.9%)へと歴史に残る暴落となりました。私はその瞬間をデーリングルームで見ていましたが、株価や債券価格、為替レートなどが表示されているデーリングボードと呼ばれていた壁一面に設置された大画面には、午前9時の株取引開始と同時にほとんどの株価が一斉にマイナス幅を拡大させ、次々にストップ安となった赤い光に恐怖感を覚えたことが思い出されます。

米国から始まったこの株価の下落は、アジア各国の市場や、ヨーロッパ市場へと波及し、世界全体の株価下落による損失額は14兆ドルともいわれています。株価の下落を助長させたのは、当時流行し始めたコンピューターを駆使したシステム売買の手法で、機関投資家が先物取引で株価下落により自動的に売りを実行し、それが現物市場の株価を下げ、相乗的な株価の下落へと繋がったのでした。

グリーンスパン米FRB議長は株価暴落の対応策として市場に十分な安定的資金の供給を行い、信用不安の打ち消しに務め、大企業や証券会社と個別折衝し、積極的な株式の購入を即座に実施、翌日20日のNYダウ平均株価は一転して102ドル上昇し、21日には186ドルと大幅に上昇したことで、市場は落ち着きを取り戻したのでした。また、経営危機に陥ったコンチネンタルイリノイ銀行の子会社など、超法規的な救済策をFRBが直接指示したことから市場に安心感が広がり、株価は徐々に回復するのですが、元の水準まで値を戻すのに2年の歳月を必要としました。

当時は大手米銀で仕事をしていましたが、コンチネンタルイリノイ銀行への信用不安が発生したときには、邦銀はもとより欧州系の銀行は無担保で貸し出しを行う信用供与枠を極端に縮小するか、または停止させ、日々の資金調達や、為替取引の実施に困難をきたしました。このような状態のときに米国本店よりコンチネンタルイリノイ銀行に対してドル貸し出しや為替取引は無制限に行うようにとの指示があり、通常業務を遂行できた記憶があります。これらも当然FRBの指導に基づく決定ではないかと、いまさらながら思い出されます。

翌日1021日(水曜日)の日経平均株価は2037.32円(+13.24%)まで上昇し、その後半年ほどで元の水準まで戻し、世界の中で日本経済の底堅さを印象付けたのでした。このためドル円の為替レートは140円台、さらには121円台まで円高が進むことになるのです。一方、ヨーロッパ各国も株価対策として、政策金利・公定歩合の引き下げを実施し、時間的な差はあるものの徐々に元の水準を回復しました。


他国に先駆けて株価の回復を実現させ、日本経済の底堅さが証明できたことで、さらに株価が続伸し、資金が不動産へも移り地価の高騰により含み益が急増し、円高へ動きました。しかし、日本企業は円高対策として生産拠点を海外に求め、バブルで高騰している日本資産運用をさけ、割安な海外に目を向け、海外不動産・企業買収が急増し、機関投資家の積極的な外債購入でドル円が160円台まで急騰、後のバブルの崩壊と言う悲劇が始まるのです。

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