「ドル円当時の安値79.75円の道、1993年」
1993年1月から時系列でみて見ましょう。当時の為替相場は、クリントン米新大統領とその側近による、米国貿易赤字削減を目指す、政治的な要因に基づき決定されたかよく分かると思います。もちろん、ここでは目に見えない米企業の圧力があったことは間違いないと個人的に考えています。
以下は、円高の動きを時系列順にまとめてみましたが、前回の話と重複する箇所がありますが容赦下さい。
1993年1月ドル円は123.94円で取引が開始。
1993年1月20日 クリントン米大統領就任→ 対日貿易赤字の削減を目指す。
1993年2月9日 バーグステン国際経済研究所所長「ドル円100~110円のまで円高誘導すべき」と発言。
1993年2月11日 フォーリー米下院議長「クリントン政権は日本に円高政策を求める」と発言。
1993年2月19日の週 ドル円124.54円から120円を割り込み118.15円まで下落、118.30円で越週。
1993年2月19日 ベンツェン財務長官発言「一層の円高が望ましい」と発言。
1993年4月2日の週 ドル円117.20円を高値に113.50円まで下落、113.65円で越週。
1993年4月16日 ワシントン日米首脳会談でクリントン大統領は「貿易不均衡の是正には円高が有効」と発言。
1993年4月22日 ドーンブッシュMIT教授は「1年後にドル円80円台が妥当」と発言→ 1995年に現実化する。
1993年4月23日の週 ドル円117.70円を高値に110円を割り込み109.55円まで下落、110.65円で越週。
1993年4月27日 ベンツェン米財務長官「協調介入の用意がある」と発言→ ドル買い戻しが強まる。
1993年4月27日 サマーズ米財務次官「ドル円適正水準は110円程度」と発言、NY連銀はドル円で円売り市場介入実施。
1993年4月30日の週 NY連銀の介入で、ドル円は安値109.23円から112.45円まで値を戻し、11115円で越週。
1993年4月29日 G7の共同声明で「為替相場の過度の変動は世界経済の成長にとって好ましくない」と表明。
このように、一度は円高を阻止するドル買い介入を実施しながらも、対日貿易赤字の削減が見られず、より強硬な態度となる動きが始まりました。
1993年5月19日 ブラウン商務長官「対日貿易赤字は為替調整で是正が必要」→ 再び円高圧力を強める。
1993年5月21日の週 11192円を高値に110円台を割り込み109.95円まで下落、110.40円で越週。
1993年5月25日 米財務省報告書「円高が日本の経常黒字拡大を抑制」→ 円高政策へ転換の契機となる。
1993年5月28日の週 110.80円を高値に106.85円まで下落、106.90円で越週。
1993年6月3日 ベンツェン米財務長官「日本の対外黒字は世界経済の不安材料」→ OECDの会議で発言、世界各国に円高容認を求める。
1993年6月18日の週 110.15円を高値に105円を割り込み104.80円まで下落、109.55円で越週。
1993年6月30日 ベンツェン米財務長官「円高圧力停止の見返りに日本に景気刺激策を要求」
1993年8月5日 宮沢内閣総辞職。
1993年8月6日の週 105.30円を高値に103.85円まで下落、104.40円で越週。
1993年8月6日 細川内閣発足。
1993年8月13日 日本銀行円売り独マルク買い介入実施→ ドル円以外では初めて。
1993年8月13日の週 ドル円104.98円を高値に10180円まで下落、10185円で越週。
1993年8月19日 NY連銀、ドル円で円売り市場介入を実施、106.75円まで急落。
1993年8月20日の週 ドル円100.40円まで下落、介入により106.75円まで上昇、104.30円で越週。
1993年の後半の半年間のドル円相場は、8月の安値100.40円を底値に円高も収まり、大台の100円を維持し103円台から徐々に底値を切り上げ、一時11207円まで上昇し、1993年は11185円でこの年を終えました。8月の介入効果や、ベンツェン米財務長官が6月30日に日本政府に突きつけた「円高圧力停止の見返りに日本に景気刺激策を要求」が、日本の政権政党の支持率低下という政局混迷に、ある一定期間猶予を与えたとの観測も流れていました。